また祖母を思い返す機会がありました。
祖母の数回目の法要でした。
祖母の思い出を、会食の時に、ご出席してくださった方の中で、お話させて頂きました。
話してと言われたのが咄嗟のことで、自分の知ってる祖母を全部話しきれませんでした。
いくつもいくつも思い出があります。
本当に良くしてくれた祖母。
上京して寂しい時、祖母が頑張っているから私も頑張ろうと思って遠くからでも心の支えとなってくれた大きな存在でした。
私は幼少期のころ、おばあちゃん子で、祖母と寝てました。
祖母は姉と弟の3人兄弟。
自分も中学校(じょがっこう)まで行ったけど、もっと上の学校まで行きたかったと言ってたような気がします。
確かに、祖母の姉は、それに呼応するように、会うと何度かおっしゃって下さったことがあります。
「本当は祖母の方が(お姉さんより)頭が良くてもっと勉強したいという夢があったんだけど、(家の方針として)お姉さんはサラリーマンに嫁ぎ力仕事もなくすんだけれど、祖母が農家に嫁いで勉強する時間もなくなり、妹には悪いことした」と。
妹をずっと思い続けてくれたお姉さんに恵まれた祖母。
(今は天国でまた楽しく会っている事でしょう)
祖母は私が産まれるずっと昔に、農作業中、機械で人差し指を切断していた経験もあり、なおさら、お姉さんはご心配されたいたのかもしれません。
祖母は寝る前に毎日日記をつけてました。
枕元には何冊も日記が積み重なってました。
農業をしており、日記を去年または数年ふりかえり、今年の進捗に役立ててました。
繁忙期には、夜8時まで働いて、晩御飯を作ってくれて、食事後、また10時すぎまで働くみたいなことをしていた気がします。
とてもよく働いた祖母。
そのせいか最後の10年くらいは、病気で体が動かなくなって、私の妹と母が在宅で介護をしました。
最後も自身は体調が辛かったと思いますが、まわりに介護をしてくれた人がいました。
働く姿、生きる姿勢、ぬくもりを小さいころから身近に見て、感じてきたからこそ、自分が今、困難な時も生きれていると思います。
子どもたちには、実家が遠方なので、祖父母をあまり身近に感じさせてあげる事ができないのですが、できる限り、会ってもらいたいなと思っています。
子どもにも自分の心の支えになる人がたくさん居てくれたらなと思うからです。
法要で、また大好きな祖母を思い返し、他の方の祖母の思い出を聞けた日でもありました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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