地域の防災リーダー講座に参加させてもらえることになりました。
昨年7月の令和2年の豪雨水害から1年になろうとしています。
私は里帰り出産で九州にいるときに、
実家が水害にあい、一階が天井下までつかり、
全壊判定になりました。
※河川カメラの映像※
(当時は知識もなく河川カメラから情報収集することなく避難し後悔しました。
現在では大雨の時には見るようになりました。)
お人形のメルちゃん用ベビーカーが、和室の天井下のらん間に突き刺さっていたこと、昔ながらの重いアルバムが何冊も何百メートル離れた田んぼに流されていたこと、地区のものではないログハウスの一部がうちのフェンスに流れ着いていたこと、車が田んぼに縦につきささってたことなど、
水の力に驚きました。
ベビーカーもおもちゃも何も持たず、
軽い気持ちで朝5時に車で避難し、
数ヶ月前に買ったプリンター、クーラー、数日前に届いた5冊の絵本など含め
ほぼすべての物が浸水の被害にあいました。
こんな時なのに、食べ物への執着はすごく、お菓子のおさつチップスがマイブームで、買いだめして5袋くらい食器棚に置いてたのに、
1つも車に入れず、あれが食べられなくなったと思った時、ストックの意味ないじゃんと、どうしようもなく切なくなりました。
(あれから、おさつチップス買ってないな…。)
家が浸水したことに驚きすぎて、
食べ物の事ぐらいしか、現実として受け入れられなかったのかなと思います。
家族みんな無事だったので、
こういうことを言っていられる。
ほんとに、不幸中の幸いでした。
50名以上亡くなり、行方不明者もまだ2名いらっしゃいます。
この場をお借りして、被災された方にお見舞い申し上げますともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
その日かけつけてくれた、父の妹、私のおばの家に2週間ほど居候、
その後、母の妹、こちらもおばの家に1週間ほど居候して、
7月後半に、実家の2階で避難生活を始めました。
夫の待つ自宅に戻った方がいいのかなと、考えたような気もしましたが、
両親だけでは、水害の泥だらけの家の片付けはとうてい出来ないと思い実家に居続けました。
当時5ヶ月の息子と3歳になったばかりの娘がおり、
うまく手伝うことは出来ないながらも、
おにぎりを作って、ボランティアに来てくれた親戚に食べてもらったり、
火災水害保険用に被害の写真をとったり、
支援物資をもらいに行ったり、
SNSで気づかってくれる友人たちに状況報告をほぼ毎日してました。
被災した実家の2階で3ヶ月避難生活を送り、
リフォームのめどがついたあたりで、
娘が保育園に登園しないと退園になるという期限が近づき、自宅に戻りました。
泥だし、壁はがしなどで、家族は片づけで怪我をしたり、私と娘は喘息のような咳が、出ていました。
それから1年ですね…。
防災士という資格があるのは、
友人が資格をもっていて知ってはいたのですが、
受けてみようと思ったのは、
この被災のあと、この経験からです。
地球温暖化による近年の異常気象では、
また今年も実家が水害にあってしまうのではないかと、びくびくしています。
友人、親戚、見ず知らずのボランティアの方に本当に本当に助けられ、
1年間を前向きに過ごすことが出来、
感謝のしようがないです。
今の私ができること、頑張ってみたいと思います。
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